NHKのど自慢平塚大会に申しこんだところ案内の通知が来ました。予選会は大勢なのでブザーですぐ交代ですが私は随分長く歌わせてもらえて本番並みのバンドをバックに気分良く大声を張り上げて落選!明治神宮表参道を行進する兵隊さんの軍歌で育ったじじいの失敗談です。
昭和10年 東京都で誕生。明治神宮表参道の神宮前小学校在学中に米軍機の爆撃を避けて御前崎に避難、残った同級生の多くが焼夷弾による広範囲の火災で防空壕の中で死んだと聞く。避難先の県立池新田高校から横浜国立大学工学部へ入学
昭和33年 同校卒業、日産車体に入社設計部に配属以降新部門をつくる仕事を歴任。 製造部次長としてフェアレディZを月産1万台生産する修羅場を体験。設計部技術開発室長として小さな配送車のコンセプトカーを自動車ショーに出す体験。技術開発室長時代経団連の下部組織企業研究会技術部会のメンバーを経験。
昭和62年 体力的に厳しい人約百人を預かり日産車体の子会社㈱サンガードを創設して 社長に就任、湘南警備業協同組合を造って平塚市の七夕の警備などを受注。人とモノの流れの変化を想定して対応を予測できる社風が産まれて普段も日産車体以外の警備を受注して約200名規模で後任にバトンタッチ。
平成11年 創造性の研究に公の機関の指導を受けやすい様に有限会社メイアイを設立
平成12年 サンガードを退職後は潜在能力(右脳)活用法の研究・構築・成果確認に専念
平成19年から2年1期平塚市城島地区社会福祉協議会会長で地域へ若干の恩返し。
平成20年 かながわ人材育成支援ネットワーク会員。横浜の会場で講座の講師、講師丸尾から話を聞くだけでは体験学習が出来ず丸尾のホーム頁で自習を繰り返すことを教えて講座は1年で終了。
平成23年 東日本大震災の避難所の子供達が屋内で釣竿で遊べる凧を作成NHKふれあいホールに展示、A4画用紙に折れ筋を入れた団扇Coolですと共に被災地へ行くボランティアさんに託した。
約20年間 浜松中田島で行われる日本の凧の会全国凧揚げ祭りに「創作凧」で参加しながら温故知新。
現在の主な取り組み 凧をケイタイカイトと名付けて「お茶の間用」に柔らかい樹脂板の打ち抜き骨格構造にして特許 を取得。広く行事に利用しながらリサーチを続行。
その結果「凧のまわりに絆が出来る」 現代の社会問題、超高齢化、孤独、子育て支援、現代鬱、イジメ等の対策ができる江戸のNAGAYAを現代化したオフ会仲間オンラインセブンの絆を造る道具に仕上げた。
研究及びリサーチ内容 ☆手に持って全身を叩きながら即効があってなおケイタイカイトと組み合わせて使いながら当初の目的を達成できる道具「指圧棒救命タントン」が特許になった。
☆平塚市知恵袋バンクにボランティア登録。2つの道具を持って小学校の生活科の授業や学童保育、各地域の子供大会に参加。高齢者施設を歴訪。
☆平塚西部福祉会館の風呂で知り合った「入浴仲間」が「ニューヨークブラザース」として先般72歳で自転車で平塚から四国経由九州まで行った若手大坂さんの音頭で車椅子の老人に歌いながら凧揚げを提供。
☆右脳活用の潜在能力活用法を使って220件の先行特許事例がないアイデアをホームページに発表この中から20数件を特許で公開し、発明展に展示。 これが縁でNHKや日テレに出演。
☆試作品がタケシの番組にも登場した。 そのうちから特許を審査請求したものは全て特許の査定が下りているが丸尾のアイデアは今振り返れば観念的なものばかりであった。
☆このノウハウを生活実感のある多くの層の人達に救命タントンとケイタイカイトを使って貰いながら社会を支える側に回ってもらうのが亥年丸尾の最後の仕事。
☆凩に後期高齢空元気 (*_*)丸尾
コガラシニ コウキコウレイ カラゲンキ 平塚文芸で市長さんから賞状を頂き、撰者から随分悩んだという感想。それはそうでしょう。川柳部門ではなくて俳句部門の入賞ですから。
幼児体験が激動の時代に生きた実例
フェアレディZと言うスポーツカーを一つのラインで月産1万台造る渦中で次長と言う立場で従来のしきたりや管理手法では追いつかない膨大な問題の処理に直面した時に丸尾の幼児体験「トラブルが解決してゆく様子を瞼の裏に瞬間に動画で写す潜在能力活用法」が活きました。
誤解もされました
優秀な部長さんがチェックチェックでフェアレディZ月産1万台を達成したのであって丸尾はただ問題処理だけを担当したのですが別の工場を部長として4年でZの工場並みにせよと言う命令を受けました。
ピンチはチャンス
そこで全員大会で資質の高い工場の千人を超す全員に助けを求めました。俺たちの真似をするだけの「サルまね部長」と言うあだ名と共に一日で全員に徹底して4年計画を2年弱で達成してしまい某全国版に載った結果、上部労組から「労働強化」?の烙印を押されて悲しい想いをしました。その後の労組の状態はご存じの通りです。
術開発室長の時若手が未来の街かどをイメージしてくれて生まれた車はモーターショーで大好評でしたが親会社がトップに報告してきた一度に沢山積めるニーズの内容と合わないと緘口令!その後の親会社の状況はご存じの通りです。
まして企業の専門外では会社が担当している商用車のバンのイメージアップに丸尾の海浜のシナリオを基にして某工房の若手と一緒に粘土で模型を創ってブロー成型してモーターショーに出した「マリンウオッチング」は凄い反響でした。
シュノーケルや訓練がいらない誰でも足ひれをつけて海底を覗きながら水上バイクのように遊泳できる新しいレジャー用品として雑誌ビーパルやポパイに載り、航空会社の機内雑誌に載り、タケシの番組でも放映され。コカコーラから記念品としての引き合いが来ましたが、共に親会社の指示でないために没。
挫折しても・・・「ウオンツプログラミング法」としての手法=ノウハウは丸尾の手元に残りました。これを日本中のオンラインセブンにこのホームページでご提供します。
薄くケイタイし、拡げて寄せ書き出来るこのケイタイカイトを皆様の暮らしのお役に立てて、御恩返しをしたいと思います。
妻ちゑ子は夫吉伸の定年の際、退職金を自分に一切使わずに吉伸の夢に使いなさいと㈲メイアイをつくってくれました。
「あなたが今日まで激動の時代が与えてくれた試練から逃げないで命懸けで取り組んた事は私が一番知っています。」
「この貴重な試練から生み出した潜在能力活用法(動画イメージ法)は日本の為に絶対に必要だから
七福神のケイタイカイトでそれを使って貰いましょう」と話していました、
妻が脳内出血で倒れ2年4カ月の入院で肺炎で逝去してから、二人で仕上げた七福神の図柄の
ケイタイカイトを使って当面10万組の七 福人のコミュニティーを造って1億総活躍社会の
一助にしたいと思います。ご支援ください。